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2003年9月1日から日記形式に変えました。必要に応じて掲示板スタイルに戻し、書き込みをお願いすることも考えていますが、しばらくはこのままで行きます。

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全752件の内、新着の記事から20件ずつ表示します。 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  |  《前のページ |  次のページ》 

都市デザイン  投稿者:武田徹  投稿日:2008年 8月21日(木)05時37分3秒    編集済
  午前中、銀行に行って、そのまま東京横断し、国際展示場前のカフェベローチェで仕事、一本送稿してからグッドデザイン賞審査。うちのユニットは点数が多いので通常二日間拘束なのだが3日拘束になる。その一日目。未公開審査品を特別室で見て、その後、設営中の会場でざっと公開審査品全体を見た。数的にきびしい。あいにく膝が痛くなっているのだが、三日間もこの広い会場を歩き回れるのだろうか。
帰り道、癌研病院横を通ってゆりかもめ。癌研のマークはなぜカニなのだろうか。理由があるのだろうが(どこかで読んだ気がする)、そのマークは患者さんの気持ちのよりしろになれるもなのだろうか。デザインの審査会の帰りだから気になるのか。
ゆりかもめを選んだのは豊洲がどうかわったか見たかったから。毎年Gマーク審査の時にここを通るようにしている。荒涼とした雰囲気は一年前と変わらない感じがする。五輪が決まらないのと本格的には動かないのだろうか。日野啓三さんが生きていたらこの景色をどう感じたか。
豊洲の駅の近くに港湾労働者宿泊所があってそこだけ建物のデザインが違う文脈で目を引く。ゆりかもめも高架線からは子どもが遊んでいる公園の先に入り江が見えるが、子どもの視線の高さだと水は見えているのだろうか。こういう景色の中で育つことの感化力はどうなのだろうと思ったりする。
 

デジタルゲッベルス  投稿者:武田徹  投稿日:2008年 8月17日(日)12時49分20秒    編集済
   工人舎のSH8は修理から帰ってきて以来、安定して動いている。しかも修理に出す前は、前にも書いたが接続不能なプロジェクタがあったのだが、それも難なく接続できるようになってしまった。修理ではマザーボード交換されているはずなのだが、その不良のせいでプロジェクターが使用できなかったのだろうか。
 壊れたときはVista不信に駆られ、eeePC901に店頭在庫があれば流れていた状態だったが、ちょっとその勢いが鎮まっている。似たようなUMPCがそう何台もあっても困るし、現状ではこっちはSDDが32Gもある、今となっては4倍以上も高価だった高級機でもあるのだし(とはいえ今やバッファローにeeePC901の本体内SSDの換装用で64GのSSDがほんの数万円で出ていて量産効果の効き目に感心しているけれど)。
 それと、ここに来て気づいたのだが、この機体は19V駆動であった。ぼくのThinkPadや家内のレッツノートR5用の16VのACアダプタがなまじささるので16V駆動だろうと信じて疑わなかったし、実際、WLANを使っても完全充電できていたのだが、昨日だったか、コンセント有りのマックで充電しながら使おうと、今まで封を切らずに持っていた同梱アダプタを持ち出してみたら19Vだった。結果として無知ゆえにSH8は16Vアダプタでも(比べてしまうと確かに充電速度はかなり遅かった・・・・)使えることを犠牲的姿勢で確かめた「人柱」になってしまった。3V程度の差であれば低い分には大丈夫なんでしょうかね。
 北京五輪中継はマスメディアの時代の最後の華のように見えてくる。新聞が号外を濫発するのも自分たちの存在価値を示そうという焦りからではないのか。次々に中国政府関与による開会式「偽装」演出が発覚しているのもゲッベルス以来の国威形容のためのプロパガンダ的五輪利用法の最終章、完成形態という趣のようだ。マスメディアも国民国家と一蓮托生を超えて、せめてそれについて語れるといいのだけれど。
 お盆の週はさすがに締め切りは少なくて自分の仕事ができた(唯一、入稿したのは本がなくて締め切りを延ばしてもらった『君たちはどう生きるか』の書評だけだった。コペル君のはなし)が、来週は幾つか集中している。Gマークの審査会もあって、そう自由な時間はないのでそろそろ前倒しでかかり始めた。
 

指先  投稿者:武田徹  投稿日:2008年 8月15日(金)04時26分56秒
  早起きなんだか、夜更かしなんだかわからない、ライフサイクル異常のまま過ごす。
ぼくは本を読むときにあとで引用とか参考にしたい箇所があるとページの上を少し折る悪い癖がある。そして多少読み進めてから戻って料理する。図書館の本はさすがに出来ないが、自分のものだと遠慮なくやってしまう。折った跡が沢山残っている本は使い甲斐があったものだということになる。
今日、古本で買った本を読んでいてこの耳折りをしたら、予想以上にすっと折れた。もちろん視覚的にも注意していれば気付いたのだが、このときは指の感触ではっと思った。既に同じ箇所が既に一度折られているのだ。折り目をもう一度折ったので力がかからなかった。指先はそれくらいのことを感じる能力がある。
同じ箇所を、なにかに使おうとした読者が前にいたということなのだろうか。どのように関心を持ったのか? 突然現れた姿の見えないライバルを気にし始める。
 

散歩料  投稿者:武田徹  投稿日:2008年 8月13日(水)20時21分1秒
  古本を探していてアマゾンに出ていた書店が近所なので直接買いに行った。古本屋は店頭では客の方が書棚を眺めて買うのが普通なので、どの本がどこの書棚にという整理が必ずしもついていない。バイト店員などはもうお手上げだろう。かくして「この本があるようだが」と頼んだら店員は捜索にひどく難儀していた。店員二人で書棚をなめ回して探し、ようやく見つけて二人して安堵している。アマゾン経由で注文が入ったときにも同じことをしているのだろうが、店頭で客を待たせているのと違って多少時間をかけて探せる。
店頭で買ったらアマゾンより300円安かった。アマゾンでみつけてそれを店頭で買うという経験はあまりしないので値段の違いは意識していなかったが、どうも差をつけているようだが。しかもアマゾンの場合は送料がかかるので結局600円強は安く、しかも入手まで時間もかからずに買えてしまった。そう遠方の本屋でなかったら実際出向いてみるのもいいのかもしれない。実際に訪ねてみれば掘り出し物もみるかるだろう。少なくとも一冊は確実に買う本があるわけだし、数百円の貯金ができる。散歩もできる。
ちなみにその本に書いてあったことではないのだが、札幌農学校は2期生まで学生には俸給が支給される制度になっていたが、散歩料まで払われていたそうだ。開拓使官僚育成が目的の学校だったが、散歩は官僚の見聞を広げる立派な学業だったらしい。
 

時差  投稿者:武田徹  投稿日:2008年 8月11日(月)01時02分59秒    編集済
  無事帰国しました。日本時間でも米国時間でもない時差に苦しんでいる。どっちの国でも(というのがそもそもおかしいのだが)早寝早起きだったのが帰ってきたら全然眠くならない。おかげさまで、というわけではないが、細々とした片付けなどをして時間を過ごしている。
旅行前に修理に出した工人舎SH8SSDモデルが直ってきたので少しずつセットアップをを戻している。問題は一太郎でプロダクトキーがわからない。ヘルプから読めるので油断してライセンス関係書類をうちゃっていた。立ち上がらなくなってリカバーをかけてしまったので修理前の時点でヘルプどころか一太郎プログラム自体が消えてしまった。
工人舎は弱いのか。もう少し見定めてだめならeeepcとかに移ろうと思っている。
内芝の金で号外が出たそうだ。金メダルで号外が出たことは過去にあったのだろうか。
 

グールド  投稿者:武田徹  投稿日:2008年 8月 8日(金)09時48分44秒
  CBCカナダ放送局本社前にはグールドの彫刻が置かれている。夏でもコートを着て手袋をしていたと言う変人ぶりをそのまま再現したもの。椅子に身体を傾けて座っており、隣に座るとグールドと話しているように見える。グールドを生み育てた都市文化と思うと色々考えさせられる。
中国系移民が多いので当然だろうが、トロントの街では中国五輪祝賀ムードが強い。CBC本社の一階アトリウムも五輪放送をテーマにしたディスプレイに書き換えられ、中継をそこで映し出すのだろう、巨大な液晶モニターが置かれている。
久しぶりに日本の報道系サイトも見てみたが、そちらも五輪記事で一杯だ。結局は五輪は報道にとって実においしいネタであり、このままでは2016年に誘致を(一部で)期待されている東京五輪だって本質的な批判は難しいだろう。中国人作家の芥川賞も五輪年でなかったら果たしてありえていただろうか。穿った見方だが、そう外してもいないように思う。残念だけど。
実質的に夏休みの最後の日。市内でうろつく。トロント大学にはマクルーハン・プログラムというセクションがあって、技術とメディアの研究をしていると聞いたので、地図を頼りに訪ねてみたが二階建ての古く小さな建物一つだけがある、謎の設備だった(中には誰もいなかった。廃屋みたいとまではいわないがあまり人気が感じられない建物だった)。名物教授の名前を借りた記念寄付講座みたいなものの運営拠点なのか。宿泊先のホテルのすぐ近くにあるのはなんとなく因縁めいているが。
論文をひとつ書き始めた。試し書きに近いので最終的にものになった時にはどうせ廃棄されてしまう部分なのだろうが、トロントで書き始めたことは記憶に残るだろう。エスプレッソで時差ぼけの眠さを無理矢理押さえている。さて部屋に帰って支度しないと。
 

風船と原爆2  投稿者:武田徹  投稿日:2008年 8月 7日(木)22時38分27秒
  ↓と書いてから改めてDOEの頁を読んでいたら色々新発見があった。フェルミは自分の設計に自信があり、核暴走はありえないとマンハッタン計画の責任者には告げていたが、後の記録はそれが人口の密集地帯で行われた危険な「ギャンブル」だったことを認めている。
実験は朝から始まったが一度、安全確認のために制御棒を戻し、昼食の休憩を挟んで再開されている。臨界達成は計測された中性子数をフェルミが計算尺で計算して宣言された(昔のひとは計算尺が使えたのだ。うちの父親も背広の内ポケットに計算尺を入れていて結構な計算をその場でこなしていた)。彼の計算が終わるまでしばらく息を止めて待つような時間があったようだ。フェルミの計算によると臨界計数は1.0006。1ジャストが暴走しない、停止もしない継続的な原子炉の稼働状態なのでまさにフェルミの計算は正しかったということだろうか。
出力は0.5ワット。シールド一切なしで、制御棒操作のスタッフは至近距離にいたようだが、この程度でチェレンコフ光はどうか。
 

風船と原爆  投稿者:武田徹  投稿日:2008年 8月 7日(木)20時33分52秒    編集済
  シカゴに行った目的のひとつは最初の原子炉の跡地を見るためだった。フェルミが協力してシカゴ大に密かに?作られたCP-1。それは42年末の臨界実験に成功した後、大型化されてハンフォード工場にプルトニウム生産炉として作り直される。これらはCP-1と同じく黒鉛減速軽水冷却原子炉で天然ウランを使用し、プルトニウム生産専用で発電系は備えていない。ウランの濃縮は大変だ。だったら自然に取れる天然ウランを中性子であぶってプルトニウムを作ればいいという流れだろう。44年から臨界稼働しているのでまさにギリギリのタイミングで生産を始めたことになる。その運転開始と共にコロンビア川は原子炉からの温排水で常時湯気を立てるようになったといわれている。
そんなハンフォードの施設がいよいよフル操業に入ろうとしていた1945年3月10日午後3時23分、外部電源が喪失、三基の原子炉の自動安全装置が制御棒を緊急挿入し、原子炉は自動停止した。点検後、運転が再開されたのは三日後である。外部電源喪失の原因は風船爆弾が送電線を切断したためだった。何の役にもたたない世紀のローテク兵器だったと思われがちな風船爆弾だが(風船爆弾の名誉?のために付言しておくとそのハイテクぶりを検証した本もあった)、核兵器開発を僅かではあれ止めていたというのは興味深いエピソードではある。
しかしCP-1の実験の再現イラストを見るとスタッフが立ち会って中性子の計数カウンターなどをみていたようだが、臨界に向けてどんどん発生する中性子は増えていたはずで、東海村の臨界被爆ほどではなかっただろうが、眼球や網膜を中性子が通過するときに発生する青いチェレンコフ光を彼らはみなかったのだろうか。いざとなったら斧で綱を切って制御棒を炉内に落下させるという緊急停止装置や、カドミウム溶液をバケツでかけて止めるという発想も隔世の感がある。ただ、こうした工夫に見られるようにフェルミは核暴走の可能性を懸念していたわけで、臨界係数が1をわずかに超えるタイミングで止めて被爆量は多くなかったのかもしれない。安定的に稼働できる設備だったのかは。どうなのだろう。停止が遅れていたら初の原子炉臨界実験を通り越して初の原爆実験になってしまっていた可能性はないのか。黒鉛減速炉だったらそうならないのか。このあたりは工学的知見がないとなんともいえない。
 

産直  投稿者:武田徹  投稿日:2008年 8月 7日(木)11時11分10秒
   タダでWiFiが使えるカフェがホテルの近くにあったので入り浸っている。昼間はトロント大学に行ってみた。大学の書店で産地記念ということで”The History of Investigative Journalism in Cabada”とマクルーハンのThe Gutenberg Galaxyを買ってみる。後者はともかく前者はカナダにいなければが買わなかっただろう一冊で調査報道といえばアメリカしかないような印象を覆すためにも読める時間が来るといいのだけれど。
 中華街はまるで香港だった。香港が中国化されて消失したらここが香港の遺伝子を次いでくれればいい。
 カフェで聴く音楽はこれも産地と言うことでグールド。酒飲みは産地で飲む酒はうまいというが、産地で聴く音楽や触れる思想もまたオツなものだ。
 

 投稿者:武田徹  投稿日:2008年 8月 5日(火)20時23分41秒    編集済
  何曜日だかわからなくなったが、たぶん8月4日。相変わらず朝4時ごろから起きて読書をしているのだが、夜明けに窓から見ていると雲の流れがすごく早い。ミシガン湖上に黒雲が沸き立って稲妻が湖面に落ちている。撮影できないかとカメラで長時間シャッターを着るがタイミングが難しい。やがてホテルの周辺も豪雨になったが7時すぎにはあがる。ところが興味本位で天気を見ていたバチか、トロントに行くためにオヘア空港に向かうと欠航の嵐。悪天候のせいだろう。搭乗予定便は欠航になっていないが大幅に遅れている。払い戻しとか、便変更とかの手続きだろうと思うが、至る所に長蛇の列が出来ている中、ラウンジで待っているが、その間にも出発予定時刻が延びてゆく。ラウンジの無線LANは有料で使えない。この国は無線LANはFCCの管轄なんだっけか?
結局1時出発が5時に搭乗。しかも滑走路をタクシングしはじめてぐるりと滑走路を回ってまたゲートに戻るという異例の措置。欠航便のパイロットを乗せたいので、乗客で今日トロントに行かなくていい人に席を譲って欲しいとか。タクシング前に交渉出来なかったのか。混乱しているのだろう。
出発が遅れたのでトロントの街に向かって降下するときには、すっかり西日が射す時間になっていた。HSBCのマークが上空からも見えたし、降りてしまえば空港のメインスポンサー的に至る所にその文字がある。わずか一時間のフライトだがシティやメリルルンチの重力圏を逃れてHSBCのエリアに来たのだ。トロントは中国系移民が40万人もいるらしい。香港の統一の前にも、知り合いは香港に残ったが、その家族の中にはトロント移住が多かった記憶がある。サンフランシスコ、バンクーバーに次いで大きな中華街があるはずだ。
遅く着いたのでホテル近くのスタバのような場所で夜お茶。トロント大の横なので学生風の客が多く、勉強モードである、しかし人種的に見事にばらばらなのは面白い。
帰りのエレベータに乗り合わせた青年の顔をみてふと似ているなと思ったのだが、ニールヤングってもしかしたら「楊」とか中国系カナダ人? 顔つきからネイティブアメリカンの混血のようにおもったがトロントに来て名前が連想を呼ぶ。
 

おうち  投稿者:武田徹  投稿日:2008年 8月 4日(月)21時08分32秒
  シカゴ3日目。晴れが続いている。明け方に雨が降った痕跡が残っていることもあったが基本的に夏は晴れが続くのか。シカゴ大はきちんとした領域をもたずに、街中に校舎が点在する明大お茶の水キャンパス的なタイプだった。ここの博士号一号は日本人だったらしい。アメリカの大学に来ると留学しようかどうか迷っていた自分の大学院生時代を思い出す。当時は経済的なこととか、単位交換がいまほど易くなかったし、修論の仮題目提出などの日程もその前後の指導期間の設定もいまよりもタイトで、一年間留守にするには相当本格的に前倒しして義務を果たさなければならず、まるで出来ないというわけではなかったが、自信がなくて、修了までの時間が延びてしまうかも知れないなどの具体的な問題を悩んでいた。しかし本当のところでは日本語を捨てるかどうかを悩んでいたのかもしれないと思う。留学してしまったら、日本語の、生暖かくもデリケートな部分を相手にするような研究はしなくなるだろう。英語でも論証可能なテーマにするだろう。どうする? というのが本当の悩みだったように思うのだ。言い換えれば翻訳可能なものを相手にするか、翻訳不可能なものの存在を、たとえ幻想であれ、追いかけてみるかという悩み。結果的に後者を選んで今に至るわけで、考えてみると当時の選択は結構大きかったように思う。こうやって人生のポイント・オブ・ノーリターンのようなところを、そうとは思わずに幾つも通過して来たのだろう。
 話は変わるけれど『小さなおうち』という童話を読んだことがある人は多いのではないか。ぼくも小さい頃によく読んだ。牧歌的な風景の中に立っていた家のまわりがどんどん開発されて大都市になり、まわりは高層ビルばかりになって陽射しは遮られ、高架鉄道も地下鉄もできて騒音も激しく、「家」が悲しむ(家が感情を持っている擬人法で書いてある)が、やがて家は引っ越しをしてもらって、また郊外の牧歌的な風景の中に移転するという話。これはシカゴのことらしい。あの絵で、家の上を走っている高架鉄道というのは浅草の花屋敷のジェットコースターのようにビルの合間を高架鉄道が走っている「ループ」である。路面鉄道をそのまま高架化したようなループと、その地下に新規の地下鉄もできてまさにロケーションとしては童話そのものなのだ。こっちに来てもしかしてそうかもと思っていたのだが、都市計画系の本が多く置いてあるオークパークの元フランク・ロイド・ライト邸のブックショップにわざわざ置いてあったので多分間違いがない?
 

ライトスタッフ  投稿者:武田徹  投稿日:2008年 8月 2日(土)22時29分48秒    編集済
  シカゴは黒人が多いが、アジア系がひどく少ない印象。観光客だけでなく住民的にもあまりに見掛けない。実際、中華やインド料理店も少ない。単純に物理的に内陸までたどり着けなかったということなのだろうか。イタリア系はアル・カポネを代表格?としてでもちろんいたけだし ドイツ系、ポーランド系が代々住んだスラムに黒人が入ってくると言う移民の世代交代の記述を読んだことがあるのだが、現在に至るまでアジア系が少ないと言うことのはどういうことなのだろう。
午前中はシカゴ川を遡って建築をみる船のツアーに参加する。高層ビルの密集度はニューヨーク並か、マンハッタンの一部に限られるというような限定がないことを思うとそれ以上かも知れない。高層ビルに関しては亡命後のミース・ファンデルローエが結構な数を作っている。
ツアーの船着き場に近いのでシカゴトリビューンのやっている自由博物館を見る。自由の概念をアメリカ建国時から歴史的に総覧したりする内容であり、季節外れなのか姿が見なかったがおそらく修学旅行の子供を主な来訪者に想定している印象。入場時に投票用のコインをくれて、オバマとかマケインに投票できる。子供の民主主義教育用だと思われるので逆にスーツを着ている大人の訪問者がいて、その出自は気になる。シカゴトリビューンは共和党系なのか民主党系なのかも展示からは分からなかった。少なくとも自由の重要さを強調する啓蒙のレベルではそれを分からないようにするのがアメリカ流なのか。入場料もfreeだった。
夕方にハロルド・ワシントン公立図書館にゆく。建築に70年もかかった巨大な建物で床面積は図書館として世界最大級たしい。旅行者でも入れてしまうという意味でもfree。夜は9時までで24時間ではない。建物は大きいが開架方式なので収蔵量はそれほどもでもないか、もしかしたら閉架部分もあるのかもしれない。開架の書棚には二冊ずつある。アメリカは図書館での閲覧や貸し出しが著者や出版社の頒布権を侵害しないように、それが売れ行きを疎外したことを補償する割高のライブラリエディションで納品すると聞いている。ライブラリエディションで二冊買うと何冊分なのだろうか。日本は市販価格でももはや図書が購入できなくなっているらしいが図書関係の予算の乏しさはもっと問題として議論されて良いだろう。
「市民のための一冊を選ぶ」キャンペーンらしきもので、トム・ウルフの『ライトスタッフ』が選ばれていた。映画の上映会も行われるらしい。屋外上映のようなので、あの最後のシーンを夏の宵に屋外で見たら結構感動的ではないかとうらやましく思う。
時差があるので夜中に起きてレポート採点をする。砂漠に水を撒くような作業をしていることをもはや数え切れないほどの回数繰り返しつつ改めて確認。この子たちは明らかに前の世代の産物だが、次の世代に確実に自分たちの「教養」を継承してゆくのだろう。
明日はシカゴ大に行ってみようと思っている。移民社会のことは、シカゴ学派から学んだことが多い。しかし実際にきてみると同心円理論が目の当たりに出来るわけではないことをこれから改めて思う。先のドイツ→ポーランド→黒人街のエリアも近代的に変貌してしまったようだ。
 

ミシガン  投稿者:武田徹  投稿日:2008年 8月 1日(金)00時25分49秒
  というわけで無事に到着しました。全然仕事で海外なんか行っていないのでANAの777のビジネスシートは初めて。シートの使い方が全然分からなくてかっこ悪かった。エコノミーだと初めての海外旅行の女の子が隣だったりして嬉しいこともあるのだけど、ビジネスの隣席のひとはあまり友だちになりたくない感じ。シート間のパーティションがだんだん強力になっていることもあって、都市の儀礼的無関心の世界になっているが。
アメリカ入国はあいかわらずの全部の指の指紋登録と顔認証で始まる。去年も毎回9999が出た人なのでいろいろたいへんそうな予感がする。
ホテルはミシガン湖の畔。これはもう海だ。対岸はまったく影もかたちもなくて水平線しかみえない。ボーリングフォーコロンバインでいうと銃犯罪がある側。数日後には銃があっても犯罪にならないカナダ側に渡る。
 

旅の空  投稿者:武田徹  投稿日:2008年 7月31日(木)23時53分41秒    編集済
  原稿を仕上げて旅支度もしなければならないので、本当とてもじゃなかったのだがJCキャストのネットラジオ収録立ち会いにでかける。これまたとてもじゃないがこちらは話題は用意できなかったし、赤木も休みなので、すっかりおまかせ状態で前回もやった同じ粥川=山下対論スタイルが主。残りの時間を読書特集と銘打って本の話を。粥川さんからメールでこれをやりと提案されていたらしいのだが全然見ていなかったのでぶっつけ本番。ただ書評やブックガイドを結構書いていたので、そこで書いたことを思い出しながら話した。粥川さんや山下くんが楽しそうに話してくれたので苦労が報われる。
収録後の食事は遠慮して帰る。明日の夕刊に載る記事で事実関係確認のメールが来ていた。もっと早くに言ってくれれば良かったのだが、自分だってゲラで見落としているのだから仕方がない。手持ちの資料だけでなんとか対応してメールで返信。間に合うのだろうか。確認が必要な事項は数点あったのだが一点は「・」と「、」に関するもの。参考にした文献が並列の際には「、」の変わりに「・」を使う、まさに『日本語の作文技術』の本多勝一方式で書かれたものであったことをうっかり気付かずに「・」まで含んだ前後ひと連なりの固有名詞だと思いこんだために発生した問題。本多ルールは授業でよく教えていて、この「・」の使い方に関しては合理的ではあるけれど、あまり一般的ではないので気をつけた方が良い注意をしていた。そう言っておきながら一般的ではない使い方を無抜けずに自分で誤解していてはなさけない。
北海道新聞の次回締め切りが旅行中であることを「発見」。しかも対象本が家にないというピンチ。締め切りを多少延ばして貰うお願いをメールでする。
明けて成田空港。チェックインカウンターで早くも問題発生。同じ名前でアップグレードされた予約とそうではない予約の二通りがあるというのだという。だったらアップグレードを取りますよね、ふつう、ところが問題は、アップグレード版はその後のチケット情報が繋がっていない、ようするにシカゴまでの片道らしい。アップグレードしていない方をキャンセルしちゃうとシカゴートロントと帰りの予約がなくなるという。チケットのことは専門的でわからないのだがそんなこともあるらしい。なんか湖に金の斧と銅の小野が沈んでいてどっちを取りますか、みたいな話だ、欲張りじいさん(だっけか? 花咲じいさんと混じっている?)はどうなるんだっけか? じいさんの末路がわからないので決断に迷うというわけではないが、困っていると発券した代理店で予約の変更をしてもらってくれというので電話してもまだ開店前で繋がらない。そんなこんなで結局、両方残したままチェックインして、搭乗前ギリギリにラウンジから電話して処理をする。データの付け替えをしてもらうが、帰りの便の日付が違う問題も発生(笑)。ごたごたしたが、まぁ、大丈夫のようだ。
合間をみて探した成田空港の本屋は岩波文庫は皆無だった。新書は少し来ているようだが、そんなわけで北海道新聞の書評本は買えず。シカゴで買えたらちょっと運命的で面白い。さて、この本はなんでしょう。コペルニクス的転回がヒント。ばればれか。
出かけてしまうのでFD研修会も、保存されていたサイクロトロンのドキュメンタリー映画の東京上映会もパス。すみません、年に一度ぐらいは東京を離れないと精神的健康が保てないので仕方がない。
 

矢の如く  投稿者:武田徹  投稿日:2008年 7月31日(木)00時31分44秒
  拘束のある日程が終わって残り2日で高校3つを回らなければならなかったが、一校は9月に来いとのことで(おとといきやがれの変種だろう)火水で一校ずつで済んだ。平行して原稿3本、毎日朝からファミレスで、マックには一日数回行って、とヘビーな数日だったが、jなんとか上げてパッキング。普段読めていない本をここぞとばかりに詰めて、飛行機の機内で他にやることがないからこそ出来そうな採点用答案を入れたらえらく重くなってしまった。最近では珍しく一眼レフと交換レンズを持ってゆこうと思っているのも効いているのかも知れない。これじゃ、エキストラチャージではないのか? 出張ばかりの奥さんのマイレージをわけて貰ってアップグレードしてくれるらしいが、荷物はどうなるんだっけか。去年から二年続いて夏はアメリカなのだが、去年のロスがつい昨日のようだ。  

モシモシ  投稿者:武田徹  投稿日:2008年 7月27日(日)12時10分18秒    編集済
  家の固定電話はもはや殆どが勧誘系の通話になっているのだが、今日はニッテイのモハメドくんから電話が来た。日本語は流暢だったが母語という感じではないので、すぐに外国人だと分かった。不動産の勧誘らしく、普通なら勧誘系は話さすに切ってしまうのだが、ニッテイの音から「日帝」を連想し、しかも外国人なので戦後史的?な興味を感じて、つい話を聞いてしまった。マレーシア人らしい。電話アポインターはこれからは在日外国人の仕事になって行くのだろうか。確かに他の雇用の難しい彼等自身の立場もあるし、母語に続いて日本語を習得できた能力はあるので使いようによっては雇用者にとってもいい選択なのだろう。ぼくと同じように聞いてしまう人がいるとしたら結構適職かもしれない。もっともある程度話した挙げ句断られるのではコストにあわないと考えるべきか。
しかし二言語の習得などおよそ望めず、他の雇用がやはり難しい、そこにいた日本人のことがやはり気になる。
 

帰らない  投稿者:武田徹  投稿日:2008年 7月24日(木)22時59分12秒    編集済
  「帰れない」、から「帰らない」に。仕事が終わらないし翌朝も早いのでので水曜は多摩センターの京王プラザにこもる。駅近くのサイゼリアで夜ご飯を食べながらパソコンで原稿を打っていると学生に挨拶されたし、スタバでも学生に話しかけられて話し込んでしまった。
木曜朝は駅のマックにゆくが6時からだった。吉祥寺のように終夜営業ではないのだ。シャッターが降りていたので仕方なくコンビニを探してさまよう。途中で学バスの運転手さんが5時台に自家用車でやってきてバス停周辺を掃除しているのを目撃。向こうもこんな時間に目撃されるとは思わなかっただろう。朝一から授業X2、会議x3。21時すぎにひさしぶりに家に帰ると郵便物の山だ。赤木の仕事を評価してくれた高橋源一郎が、肉体労働で本当に疲れて帰るとビールを飲んで寝ることしかできないものなのだと書いて、「フリータになったのは自分のせいだろう」「向上する努力をしたのか」と責める自己責任論者をやんわりかわしていたが、確かに疲れがひどいときは何も考えられない。
モーニング、『ジナス』最終回。初期の一話完結のスタイルを捨てて物語に走ったが最後はまとめきれなかった感じ。ただ次のセリフはいい。これは用意していたものか。

私の質問は簡単です。なぜ人間は失うと分かっているものを愛するのか。
万物は流転し、形をとどめるものは何一つないのに。なぜ失ったもののために祈り、涙を流し続けるのか。

必然とは偶然の別の呼び名です。雨が降るためには初めの一粒がどこかに落ちなければならない。それと同じ。
 

帰れない  投稿者:武田徹  投稿日:2008年 7月24日(木)08時04分12秒
   月曜の夜はうなされて大学への恨み言を寝言でいっていたらしい(笑)。会議が延びて昼休み挟んで二回戦しないといけなくなったのが応えたようだ。
 火曜は午後から成田空港。終日用事そのものがないのが最近では珍しく、送迎をずっとさぼっていたので、忙しかったががんばってみた。
 往路は夏休み始めにしては異常な空き具合。都心横断の首都高で渋滞がなかった。帰りは夕方にかかってさすがに都心が混み始めていたのでまずは酒々井のPAで、次いで辰巳のPAで渋滞が緩和するまで仕事をしながら時間を潰す。夏と言えば原発見学会で酒々井のPAでは法政大学時代に東海村の見学会の帰りに寄った守谷のSAの風景を思い出す。もう今は、とてもじゃないけれど、あんな面倒な見学会のセッティングは出来ない。続けたのは数年だったけれど暑さの記憶を含めて思い出として残っている。
 酒々井ではまだ日が高かったが、辰巳ではもう暮れ始めており、窓を開けていると車内に入る風が心地良い。道路上なので誤解しがちだが、高さ的にはここは9階とか10階相当だろう。暮れてゆく倉庫街の彼方をディスニーランド帰りのひとたちを満載した京葉線が走っている。高層マンションの部屋のあかりもともり始めた。当たり前だがそれぞれに生活があるのだ。むこうからもこの空中PAが見えているのだろうが、そこでパソコンにかじりついて意地汚く原稿を書いている男がいるとは想像できないだろう。非対称性は様々なかたちで世界に満ちている。
 すかり暮れた頃に都心に向かうが箱崎から先がまだ混んでいたので福住で出て秋葉原をうろつく。その後、代官町から首都高に入ろうとしたがまだ混んでいたので外苑へ。なかなか帰れない。
 

昭和4年のライカ建築写真  投稿者:武田徹  投稿日:2008年 7月21日(月)01時07分30秒    編集済
  平松剛『磯崎新の都庁』を読んでいたらこんな箇所に出くわした。丹下の師匠筋にあたる岸田日出刀が弱冠三〇歳にして東京帝国大学教授に就任した昭和四年に刊行した『過去の構成』について、それがいかに画期的だったかについて磯崎はこう語ったとされている。
「まず手法としてライカで撮ったということが重要ですね」
 それをうけて平松剛はこうコメントしている。

 つまり、大きな機材をドンと構えて建物の全体像をフレームに収めるのと違って、ライカの場合は、手軽な一眼レフで、建築のどの部分を切り取るか、どこをクローズアップするか、そこが焦点となる。

 こうして岸田は建築の細部に寄った。そして日本の伝統建築の中に、モダンな建築物として通用するディテイルが存在していることをこの写真集で強調したと平松は考える。
 その解釈自体は正しいと思うのだが、岸田のライカが時期的には一眼レフであるはずがない。最初の一眼ライカが登場するのは遙かに下って65年である。岸田の時代のライカは当然、非一眼のモデルになるが、29年の書籍刊行前に入手していたとするとレンズ交換可能なC型ですら間に合わない。おそらくB型でレンズはマックス・ベレク設計の標準レンズが固定だっただろう。50mmで建築写真であれば、もはや全景は不可能で、必然的に寄りのカットになったはずだ。岸田がライカを選んだときは主体的な選択だったろう(29年はゼッペリン号の飛来で、その乗組員が全員首からライカを提げていたことで日本でも急激にライカ愛用者が増えた年だという。しかし建築の場合、撮影に時間がかかることを思えば岸田の入手はその前かもしれない)が、ライカにしてしまった以上は、もはや機材がその建築写真の方向性を決定したとも言えるだろう。
 しかし平松は見事にライカ通ではない。これは実は異色で、わたしを含めてカメラ好きが多いのだ、ライターには。機材おたくっぽいというか。
 そんな傾向の中で建築専門の、どちらかといえば理系に近い平松が、カメラと言えば一眼レフだと疑わないのは、さっぱりしていてむしろ好感をもった。村上春樹がフォルクスワーゲンのフロントにエンジンを積み、オーバーヒートでラジエータから水を噴き出させたのと同じだ。
 

恋愛の行方  投稿者:武田徹  投稿日:2008年 7月20日(日)08時51分43秒    編集済
   金曜日。礼拝時間の関係でタクシーを使う。運転手と梅雨空の話。「もう明けてますよね」で一致。しかし最近話題の多い(けっこう実のある話の出来る)タクシー運転が増えているように思う。なり手が変わってきているのか。午後の授業中にあたりが暗くなって猛烈な豪雨。今度こそ、今度こそこれで本格的に梅雨明けじゃないのか。
  夕方から目黒でマル激トークオンデマンド。新宿まで出て埼京線で行けるかと思ったら目黒駅はない。大崎経由で新木場まで行ったことがあるくらいで、あまり乗り慣れていなかったので駅数が山手線と違うことを認識していなかった。そういえばまだ舎人線や副都心線も乗っていない。交通機関が使いこなせない高齢者を見ると老いの症状かと思っていたが、生活パターンが変わって移動機会が乏しくなってゆくことで使えなくなる事情もあるのだろう。
番組はゲストが森岡正博さん。顔写真を見ていただけだったが、会って、ああ、こういう人なのだと納得した。本の中でかなり自分のことを書いていらっしゃるので、そっちの情報が先に届くのだが、会ってみて改めて納得するところは多い。
で、そんなきっかけでもメディアを介在させて親しくなって行くインティメイト・ストレンジャーについて思う。今やメル友やmixi友が会ったことがないのに本音を打ち明けられる唯一の存在になったりするのだ。
宮台さんは現実の知り合いだとうかつにプライベートな秘密まで明かすとたいへんなことになるので、何が起きても実害のないインティメイトストレンジャーに流れるというリスクヘッジ説を採るのだがどうなのだろう。
確かにいかに親しい恋人もいつか別れることを前提にすると他人行儀のやりとりしかできなくなる。後になってXXXX写真が流出してしまう芸能人を思えば、別れ方がまずいと(というかまずいから別れるのだが)元恋人にプライバシーを侵害する方法で復讐されて酷い目にあるというのは易く想像できることだ。で、親しい人に対してほど自分を隠す。そんな他人行儀でつきあってなにが恋人かとも思うのが、流動性を前提にすると、恋愛とかの在り方も変わらざるを得ないのだろう。ちなみに放送日は未定らしい。
 土曜日、エコノミストの夏の読書特集で社会学の古典三冊紹介とサンケイ新聞の記事を書く。サンケイは夏、戦争、イサムノグチの三題話に挑戦。うまくまとまるかな。どちらも締め切りが少し先なのだがそんなことを言っていられない状況にある。
 

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